年の初めのファンタジー

魔法のランプ

魔法のランプがあった。
昔、絵本に載っていた絵の通りの、まさしくイメージ通りの魔法のランプである。なぜそこにあるのか、いつからそこにあるのかはわからない。しかし、物語のアラジンが持っていたと思われるそのもので、それが魔法のランプであることに何の違和感もない。

木谷はその魔法のランプを手に取ってしげしげと眺めた。やはり魔法のランプである。なぜ21世紀のこの世の中にあるのか、まして埼玉県の自宅の台所にあるのかは、全く持って謎である。
日曜日の午前9時半、起き抜けの木谷はテーブルの上に無造作に鎮座するランプを眺めながら取りあえず日本茶を一服入れて考えてみる。
これが魔法のランプなら大変なことである。木谷の理解では、ランプを擦ると中から大きな魔神が現れ、ランプの持ち主の願いをなんでも叶えてくれるはずである。木谷はお茶をすすりながら、その使い道を考え始めた。

木谷正孝32歳。大手スーパー勤務。担当は電気製品売り場。花形の生鮮食品売り場ではない。見た目も振る舞いも地味な方で、就職と同時に一人暮らしを始めて9年目、独身。そろそろ変化が欲しいと思い、数は少ないが海外に数店舗あるお店の勤務と駐在を目指し、今年の目標は英会話の習得に決めたばかりである。

木谷は意を決して、スウェットの袖でおもむろにランプを擦った。暫く擦って、あれ?何も起こらないのかな・・・と思った瞬間。

ボワッ! 

「おおーーーーっ!」

大げさな煙が立ち上がり木谷は心の底から驚いた。やはりこれは魔法のランプだったのだ!煙が晴れていざ、魔神がその姿をあらわにした。
現れた魔神はグレーの背広姿。黒縁のメガネを掛け、小太りで頭頂部が少し禿げ上がっている。歳の頃なら五十代中盤。思いのほか小柄で、例えるなら熟練の市役所職員のようである。

「お、おおおおぉうっ? ・・あれ?そんな感じ?」

意外な風貌にとまどう木谷に、魔神が気さくな笑顔で答える。

「お世話になってます。魔神です。」

名刺を差し出し、さらに続ける。

「どうも。驚くのも仕方ありません。お客さん、初めてですもんね。改めまして、わたくし魔神ことランプの精です。ご察しのとおり、あなたの夢や願いを叶えて差し上げます。遠慮はいりません。なんでも仰ってください。えっ?わたしがイメージと違う?あー、はいはい。良く言われます。しかしですよ。わたしは何分ランプの精ですからね。デッカイ体で本気で出てきて、アラビア語を喋ったってお客さんわからないでしょう。ここのところ結構言葉が通じないっていうクレームが多くて、最近はランプの持ち主の国籍に合わせて登場するようにしてるんです。また見た目も出来るだけソフトに・・・ということで、その国でどこにでもいるようなタイプの風貌にしております。共感っ、ていうのがコンセプトですかね」

木谷は、あまりに意外なキャラクターに驚きつつも、目の前のそれが魔神である事に興奮を覚えた。何しろ夢や願いが叶うのである。

「魔神さん! それでは僕を大金持ちにしてください!」

「大金持ち?かしこまりました。・・・ところで変な話。お幾らくらい・・・?」

魔神は照れ臭そうに人差し指と親指で輪っかを作って聞いてきた。

「えっ?金額?そ、そうですねー。じゃあ10兆円くらいください!」

「10兆円ですか?これまた大きく出ましたね。わかりました。ただ10兆円と言えば大変な金額です。この国の1年間の歳入が約50兆円です。10兆円というとその20%にあたります。こんな事言うのも何ですけど、それだけのお金を得て、あなた本当に幸せですか?恐らく、何の努力をする気力も無くなっちゃいますよ。これから働くこともないでしょう。そしたら仕事帰りの居酒屋で飲むビールの味、もう味わえませんよ。仕事を終えて充実感の中飲むからうまいですよあれは。それに歳入の20%ほどのお金が突如国内に流通したら経済もどう動くかわかりませんよ。大量の貨幣の流通がハイパーインフレを招かないとも限らないし・・・」

「そ、そうですか。じゃあ1兆円くらいならいいでしょ? 1兆円!」

「お客さん!夢を妥協してどうするんですか!本来の夢の10分の1が叶っても嬉しくないでしょう。夢は大きく!それよりそんなお金みたいなセコイこと言わずに、もっとそれこそ夢のあることやりましょうよ。わたし、一応魔神なんですよ。ま・じ・ん」

再度名刺を提示し、役職のところを指さす。

「い、意外と現実的なんですね。そっかー、それじゃあ、どうしようかな・・・。そうだ!見た目を格好良くして下さい。芸能人みたいに。何なら嵐の松潤みたいにして下さい!」

「お客さんっ!親からもらった身体をなんだと思っているんですか!そんな見た目が人間の価値を分ける訳ないでしょう!やっぱり男らしく、自分らしく。親からもらった身体に手をつけるなんて持ってのほかです。」

「厳しいんですね。確かに親が見たら悲しむか・・・。それじゃあ、どうしようかな・・・」

「あ!お客さん。申し遅れました。私次のアポイントがあるので、そろそろ行かないとです。期末なんでこっちも結構バタバタなんです。お金とか、見た目とか、くだらないことばっかり言ってるから時間なくなっちゃったじゃないですか。残念ながらわたくし、ランプごと移動してしまいますので早く!早くお願いを言ってください!」

「え、なに?次のアポあるの?もうダメなの?」

「ああもう、またそんな質問して!答えてもいいですけど、長くなるのでその間に時間切れになっちゃいますよ!いいんですか?願い事言わなくて」

「えっ!ちょ、ちょっと待って!今の質問ナシ!えーと、えーと。」

「お客さん、だめです。すいません。もう次のところに行かなきゃです。えーと次のアポの場所は…」

腕時計をみながら魔神はスマホで地図検索をはじめた。

「だー!えーっと、えーっと」

どこからともなく蛍の光がながれはじめた。

「お客さん!閉店の音楽鳴っちゃった!もうだめです。そろそろおいとまします!」

「そんな!ま、待って!そうだ!英会話ペラペラにして!今年の目標の英会話!」

「な!そんな!それだけ考えて英会話なんて!あのね、語学っていうのはそもそも・・・」

「いいから早く!魔法でペラペラにしてーーー!」

「そうですか。じゃあいきますよ。ちちんぷいぷい~、ってああっ!残念!時間切れです!ご利用ありがとうございました。なんだか心残りですがお先に失礼します。あっ!でもせっかくだからこれっ!」

ドロンっ!!

大きな音と煙とともに魔神は露と消えた。

「ごほっ!ごほっ!なんだよー。結局何にもないのかよー」

煙が晴れてくると、一枚のチラシが舞い落ちてきた。魔神が最後の置き土産に木谷に投げ捨てたものだ。オレンジ色のチラシで何やら書いてある。〈英会話をやる。だってやるって言ってたじゃない〉

木谷は目を覚ました。日曜日の午前9時半。台所のテーブルには何もない。いや、正確には昨夜ポストに入っていた英会話スクールのチラシが一枚おいてあった。木谷は日本茶を一服入れ、チラシを手に取り、英会話スクールに電話を掛けた。

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