beer

ロンドンのビクトリアステーション周辺はb&bを含め、多くのホテルが立ち並ぶ。その中の一つに、少し古めかしいが品格を感じさせる老舗の小さなホテルがある。

そこにキャメルのコートに身を包んだ一人の日本人が入ってきた。

エントランスに入るなり、ロビーを見渡し何やらとても感慨深げである。歳の頃なら40代後半。日本人の割にブリティッシュな着こなしが似合う紳士である。

May I help you sir?

フロントの私はその日本人に話しかけた。宿泊客ならそのような感慨深い表情は不自然だし、旅行客にしては軽装過ぎる。一体どのような要件かと思ったので、Are you checking in? とは聞かなかった。

Well, I visited this hotel 27 years ago with my father. At that time my English skills were really poor…

突然良くわからない事を言う日本人は、感慨深げにフロントを務める私を見つめている。わたしは怪訝な表情を浮かべながら更に聞いた。

So…, what can I do for you, sir?

Sorry,
I just want to pay for the beer.

Pardon?

I mean, I forgot to pay for three cans of beer 27 years ago.

その日本人の話はこうである。

27年前彼はこのホテルに父親と一緒に2日間宿泊した。まだ若かったその紳士は当時学生だったという。それは、いつも忙しい経営者だった父との初めての二人旅だった。父親は英語が出来なかったので旅行中は息子である彼が全ての英語を話したそうだ。海外経験のない学生であるがゆえ、授業で習ったつたない英語で何とかやりくりしてイギリスとフランスをまわっていたのだと言う。そしてこのホテルでの最後の夜に親子でビールを二人で3缶空けた。

そして翌朝、チェックアウトの際に

Ok,
so you had three cans of beer?

とフロントで言われ、そうだと答えて三缶分のビール代を支払ってホテルを出た。ところが実際は二日間ともビールを3缶飲んでいたので実は合計6缶飲んでいた。しかしフロントで把握していたのは初日に飲んだビール3缶分のみであった。
チェックアウト後、フランスへ向かうドーバー海峡でその事に気付き、彼は自分の英語力の無さを笑ったそうだ。

ところがその父親は息子をたしなめつつ痛く後悔した。

「海外に来て日本人が支払を誤魔化したと思われるのは良くない。せっかく日本から父子二人で来ているので胸を張ってイギリスを出たかった。お前と二度とこのような旅は出来ないかもしれんからな」

そこで彼は約束したのだという。

「わかったお父さん。今度は僕がお父さんの年齢になる年にもう一度二人でイギリスに来よう。そして同じルートで同じホテルに泊まるんだ。その時はお父さんも引退して悠々自適に暮らしているはずだから時間は取れると思う。代わりにきっと僕が忙しいと思うけどね。お父さんが今四十七歳だからこの約束は二十七年後に果たす」

それから二十七年の歳月が過ぎた。今や彼は成長し立派な経営者となり、準備は整ったのだが、彼の父親は約束のこの旅行に旅立つ事なく、昨年亡くなったのだそうだ。

しかし彼は今日、父親との約束を果たす為に、ひとりこのホテルに来たのだ。そして二十七年前に父親が着ていたのと同様のキャメルのコートを羽織っている。

その日本人はそこまで一気に話すと、おおきく一息をついて、改めて私に語りかけた。

I know it’s hard for you to take the charge for the beer. It was almost three decades ago.
But I really want you to take it. I know the exact price for it. I really want to apologize for not paying for the beer at that time.
And thanks for listening.

最後に彼はとても流暢になった英語でそう言って、丁寧にお辞儀をして出て行った。 私の手には彼らが飲んだであろうビールの代金、6ポンドが置かれている。

Hey. Mister…!!

私は何かを言おうとして彼に声を掛けたが、光溢れるエントランスからキャメルのコートの後姿はにじんで消えていった。

 

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